毘盧遮那如来と「光明遍照」|すべてを照らす仏の智慧とは何か?

仏像を見ていると、「光明遍照(こうみょうへんじょう)」という文字に出会うことがあります。
私が初めて毘盧遮那如来像の背面にその言葉を見つけたとき、何かとてつもなく大きなものに包まれている感覚を覚えました。
この記事では、「光明遍照」という言葉の意味と、それが毘盧遮那如来にどのように結びついているのかを、やさしく・深く掘り下げて解説します。
目次
「光明遍照」とは?意味と語源をやさしく解説
「光明遍照」とは、文字通り訳すと、
光明(こうみょう)=仏の智慧の光
遍照(へんじょう)=あまねく照らすこと
つまりこの言葉は、「仏の智慧の光が、すべての世界・存在を漏れなく照らす」という意味です。
これは、ただ明るくするという物理的な話ではありません。
“物事の本質を見抜く力” “苦しみの根を焼き尽くす力” という仏の智慧そのものを意味しています。
毘盧遮那如来こそ「光明遍照」の象徴とされる理由
法身仏としての本質
毘盧遮那如来は、三身仏の中で法身(ほっしん)=宇宙の真理そのものとされる存在です。
形があるようでない、目に見えないけれど常に在る「智慧の光」です。
そのため、すべての仏の根源であり、あらゆる存在の背景に遍在する光とされます。
これがまさに、「光明遍照」という言葉の核心です。
経典での描写(『華厳経』『大日経』など)
- 『華厳経』では、毘盧遮那如来が無限の光を放ち、無数の世界を一瞬で照らす存在として登場します。
- 『大日経』では、密教的視点から、「真言を通して光を現し、心を照らす仏」として描かれます。
これらの経典に共通するのは、「毘盧遮那如来の光は、すべてを区別なく照らす」という教えです。
「光明遍照」が私たちの生活に教えてくれること
「光明遍照」は、宗教的な概念を超えて、現代を生きる私たちの心の姿勢にも通じるキーワードです。
1. 誰か一人を特別扱いしない仏の心
この言葉には、「すべての人に平等に、偏りなく光を与える」という意味も含まれています。
差別も区別もなく、煩悩に包まれた者さえも、光は届きます。
2. 闇を否定せず、光で包む智慧
仏教では、無知や怒り、執着などの「煩悩」こそが苦しみの元とされます。
毘盧遮那如来の光は、それらを“否定する”のではなく、“照らすことで正体を明らかにし、自然に溶かしていく”のです。
3. 祈る人自身もまた「光を放つ存在」へ
真言を唱えたり、仏像に手を合わせたりすることで、
私たち自身の内なる仏性が目覚め、光を周囲に伝える存在へと変化していきます。
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空間を照らし、心を整える力をぜひ体感してください。
よくある質問
仏像に「光明遍照」と彫られているものの意味は?
それは、毘盧遮那如来の性質を強調したもので、「この仏はすべてを照らす存在です」という証です。護持仏や守り仏としての信頼性が高い証ともいえます。
光明遍照の祈りや儀式はありますか?
真言宗や華厳宗の寺院で行われる法要や護摩供では、「光明真言」や毘盧遮那如来の真言(オン バザラ ダトバン)などが唱えられます。
自宅でも、仏像に手を合わせながら唱えることで、心を静かに整えることができます。
まとめ|“すべてを照らす”とは“すべてを受け入れる”こと
毘盧遮那如来が象徴する「光明遍照」は、単なる光ではなく、
私たち一人ひとりが内側に持つ可能性と尊さを照らし出す智慧の光です。
仏像を手に取ることは、外の仏を祀るだけでなく、自分の中の仏性に光を当てる行為でもあります。
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